トーマス・ブレーク・グラバーはスコットランド生まれ。
1859年「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店として「グラバー商会」を設立し、貿易業を営みました。
当初は生糸や茶の輸出を中心として扱っていましたが、後に薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売するようになりました。亀山社中とも取引を行っています。
蒸気機関車の試走。製茶工場の建設。高島炭鉱の開発。
さらに、西洋式ドックを建設し造船の街としての礎を築くなど、長崎、日本の近代化に大きな役割を果たしたました。
そのグラバーの邸宅跡がグラバー園内にて公開されています。
交通手段 | 駐車場なし。近隣駐車場あり。 路面電車:「大浦天主堂」下車 徒歩15分 |
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当ホテルからの 移動手段 |
路面電車
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日本最古の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドックです。
船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台(船架、現存しない)がそろばん状に見えたため、通称「ソロバンドック」の名で親しまれています。
交通手段 | 駐車場なし、近隣駐車場なし。 路線バス:「小菅町(こすげまち)」下車 |
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長崎バス
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背後の崖を削り、海を埋め立てるなど5年に及ぶ難工事を経て、三菱合資会社三菱造船所時代の1905年に完成した当時としては東洋最大のドックです。
この第三船渠は、竣工から100年以上経った今でも乾船渠の機能を維持している現役の稼働施設です。
1903年に長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として着工、翌年に完成しました。
1905年、軍艦千代田の艦長東伏見宮依仁親王殿下が宿泊された後に「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名されました。
長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、木型場として建設された建物を1985年10月に史料館として開設したものです。
1857年に長崎造船所前身の長崎鎔鉄所建設に着手されたときから現在までの技術の進歩を物語る品々や写真など900点余りの史料を展示しています。
また日本最古の工作機械や海底調査に使用された「泳気鐘」や、日本初の国産陸用蒸気タービンなどの展示を通して、長崎造船所の歴史的変遷や造船技術の発展も紹介しています。
交通手段 | 見学用シャトルバスのみ (長崎駅出発) 当日までに電話予約が必要 |
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徒歩(約2分)にてJR長崎駅シャトルバス発着場に移動 |
長崎港の中央にそびえる、同型としては日本に初めて設置された電動クレーンです。
150tの吊上能力を持ち、電動気モーターで駆動するものです。
現在も大型製品を出荷する際に活躍する現役の施設です。
1868年4月、佐賀藩とグラバー商会との合弁事業として高島炭坑開発の共同経営が開始され、1869年に日本最初の蒸気機関による竪坑(たてこう)が開坑されました。
ヨーロッパから最新の技術と機械が導入された北渓井坑は、深さ約43メートル。日産300トンを出炭したといわれ、1876年まで稼働しました。
我が国における初期の近代的炭坑施設として高い価値があります。
交通手段 | 定期運行船にて高島港へ |
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路面電車・定期運行船
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小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
最盛期の1960年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に達し、島内には小中学校や病院など生活は全て島内で賄えるようになり、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより1974年に閉山し、島は無人となりました。
2015年7月5日世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。
交通手段 | 観光船等で上陸可能です。 詳しくは運行会社様へお問い合わせ下さい。 |
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運行会社によって異なりますので、お問い合わせ下さい。 |